NHKの「おかあさんといっしょ」の「あたしおかあさんだから」の歌詞が随分と物議を醸しているようです。
反論から一転、「僕がバカだった」と謝罪 「母の自己犠牲美化」と批判でた曲の作詞者
何かすごい悲しい気持ちになったので、思わずエントリー。
色んな意見があっていいし、批判も自由だけど、それで自分の表現は間違ってましたって誤っちゃうの?
「僕が足りなかったのは 僕は、違った意図で書いてるけど 違う受け取り方をした人 に寄り添うことだったんだ 僕とあまりに違うから なかなかそれができなかった 理解してないと謝り方は変わるもんね いろいろ難しかったや」
とコメントしているみたいだけど、
違う受け取り方をした人には、せいぜい作家の意図を説明すればそれで足りるでしょう。(というかそれだって本当はしなくていい)
受け取り方なんて千差万別なんだから、万人に満足のいくものなんか絶対に創れないのは当たり前なんだから、何で批判に対応しちゃうの?
25年前、筒井康隆が小説家としての生命を賭けて、作品(「無人警察」)の魂を守ろうとしたことがあったけど、表現ってそういうもんじゃないの?
この時の筒井康隆の言葉
「小説は、作家がそれをひとつ書くたびに必ず誰かを傷つけているという芸術形式だからです。」
これに尽きると思う。
こっからは勘ぐりだけど、こういう炎上って、この作品をマネジメントしていた人たちって作家さんたちを守ってくれたのかな?
当然歌詞は見ていてOKを出した訳で、内容の危険性をどれだけ感じていたかはしらないけど、炎上して慌ててヤベーってなって「謝ればそれで済むんですから」みたいに作家さんの敵になったりしてない?
炎上自体は別にいいんだよ、群集心理が可視化されること自体は悪いことじゃないと思ってる。
「世間ずれ」が顕在化しやすくなったからこそ、従来、完璧に近い正義の存在だったマスコミが相対化された訳だし。
いいじゃん批判されても、表現なんて批判されてナンボ。
表現する人は、それに耐える覚悟、
表現者をマネジメントする人は、それから守ってやる気概、
それがないと、誰の心にも響かない表現しか残らないよ
もちろん程度問題だから、表現といくら言ってもアウト、って場合もあるけど、
「問題ないと思っているけど、怒られるから、謝っちゃおう、掲載をやめよう、削除しよう」
って考える人たちは創作や表現に関わらないでほしい。
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